SUMBA PAGE2

翌日、バリのゆっくりしたリズムにも浸れずに、怖いくらいに順調に飛行機に乗れてしまった。Waingapu 行きのBouraq AirLine の機中、波の事に話が弾んだ。眼下に見える風景はややメキシコに似ているような気もした。一時間半のフライトはあっと言う間に終了する。コックピットと客席のドアーが開けっ放しになっていて、ただでさえ不安なプロペラ機、シートベルトのロックが壊れている私の席からの離着陸時の光景は遊園地の乗り物のようだった。

必要以上の心配は杞憂であった。幸運なことに願った通りの展開で旅は進んでいった。レオンが言っていた信頼できるというジミーというガイドは空港ですぐに見つかる。彼の家がレストランで、食事もおいしく済ませられた。事前のミーティングではインドネシア語マスターの仲山善朗氏のおかげで我々の行きたい所、したい事が理解されたようで3日間の計画はおおよそ決まった。
Waingapu からサーフィンのできるインド洋側までおよそ140Km、約5時間のドライブだと、優秀なガイド兼ドライバーのジミーは言った。彼がいなかったらこの旅は成立しなかったであろう。10年前に舗装されたという国道は、道幅が車2台がやっとすれ違えるほどの広さ。島の中央部はかなり険しい山岳地帯でアップスンダウンが続く。場所によってはハンドルを切り間違えると谷底にまっ逆さまだ。おまけに現在、道路の拡張工事中のため、ただでさえ狭い道がもっと狭くなっていて、工事用の大型トラックが猛スピードで行き来していた。(もっともそのおかげで来年はだいぶ楽になるだろう。)その山中はまだ人間がだれも入った事がないんじゃないかと思われるような原生林。ジャワだったら、トラでもいそうな雰囲気だけれども、この島には蛇、ワニ等、人間にとって本当に危険な動物はいないという。本当かい?ジミーさん。余談だけれども、もうジャワタイガーは絶滅したらしい。しかし去年私がG-LAND の海岸で見た足跡はなんだったんだろう。
暗くなってきて分かったことだが、家々には電気が来ているし、たまに衛星放送用の結構大きめの丸いアンテナが空に向いている。回りの風景とのミスマッチが奇妙だ。車までは普及していないようで、どうやら主な移動手段は馬のようだ。熱帯らしくない樹木が多いのは高地のせいか。とても、涼しい。(次の日の早朝、吐く息が白かった。)おかげでマラリア蚊の心配はさほどしなくて済みそうだ。ただ一枚持ってきたヨットパーカーが宝になった。

エンジンからの熱風が漏れだしてきてヒーターがんがん状態になっているホットな助手席に座りながら、バリの昔を考える。おそらく、約25年前、バリは今のこのスンバに近い環境だったのではないか。気前良くお金を落としていってくれる日本人観光客はいない。馬で道を往来し、草木で造った家に住む。電気も水道もなく、陽が昇ると起き、沈むと休む。家畜を飼い、畑を手入れする。しかしバリの人達にとってその生活が今のクタ周辺のような生活に代わってしまうまではあっという間だったであろう。

最近、世界では環境を守ろうとか保護しようという運動が盛んだけれども、ここで大きな矛盾にぶつかる。これから発展したいと思っている国の人達にとっては、単純に環境保護=発展の妨げではないのか。水道のためにはダムが、電気のためには発電所が、洪水防止には堤防が必要である。生活のためには自然を犠牲にしなければならないのではないか。もし今の日本の環境状態が最悪とするならば、人間の生活を進歩させたいという人間自体のエゴが原因である。エゴと進歩の間違いに気がついている我々は、同じ間違いを繰り返さないようにしなければならない。

バリが変わってしまったと嘆くのは私達の勝手である。しかし大部分のバリの人達にはそれは望んでいた事であり、なるべくしてこうなったのである。去年、日本からのODAが何十億だかをバリの護岸工事のために支出するとの新聞記事を読んだけれど、いったい、何に使われるんだろう。日本のように海岸がテトラボットだらけになるのだけはせめて避けてもらいたい。自然が人間にとってどれほど大切かもう皆気がついている。
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1997