6月9日
21時30分、デンパサール空港に到着。通関が済んでホテルに着くともう11時近くになっていた。モスケさんにFAXしてもらった予定表では、GRAJAGAN TOURは明日10日出発の予定があるはず。いてもたってもいられず、一緒に来た他の二人(彼らは初めて)とKUTAの街に出かけることにした。しかし、どんどん変わっていった KUTA の街並みに着いていけず不覚にも迷ってしまった。道路はすべて一方通行になっているし、新しい建物は出来ているで初めて来たとき以上のカルチャーショックを受ける。
夜の街はかなり危ない雰囲気になっている。道にたむろしているバリニーズにそのツアーの事を訪ねてもどうも要領を得ない。JAVAのG-LANDの入り口の港までは車で行けるようなのだが、キャンプについての情報がない。よっぽどキンコンを訪ねようかと思ったが、時間も時間なので明日にすることにして大人しく寝ることにする。なにしろ、9時間も空の上にいたのだから。
昔、いい感じのコテージだったKARTIKA PLAZA ホテルはヨーロッパに持っていっても十分な立派な4階建ての近代的なホテルになっていて部屋の鍵が電子式なのには恐れ入った。程良くエアコンの利いたきれいな部屋で熟睡。
6月10日
朝、レオンの所に行く。突然の訪問に驚いていたけれど、歓迎してくれた。G−LANDについて聞くと、なんと、私は子どもの時にしか見ていない、レオンの2人の弟達が、ボビーのG-LANDキャンプで働いているという。
それからはあれよあれよと言う間に準備は整い、今日の夜10時に出発する手筈はついた。今日はみんなでウルワツに行くことにする。1984年以来のウル。テンプルまでの途中の空き地だった所には大きなホテルが2、3、建設中だった。驚いたことにあの当時のキャリブーがまだたくさんいてみんな私を覚えていた。ニョマンなどいまだに板をくれくれ言っていた。みんな結婚して子供がたくさんいるそうだ。波は全然変わっておらず、とてもなつかしい。

ウルワツ 6月10日
10時、マイクロバスがホテルまで迎えに来る。いよいよ、G-LANDハへ出発。朝9時頃の到着と聞いていたのでなるべく体力を温存することにして、走り出したらすぐに寝に入った。途中トイレのために目を覚ますと何とバスが5台になっている事に気付いた。ということは1台につき5人として、総勢25人。ヒエー、混んでいるとは聞いていたけどちょっと多いんじゃないの。

MR.レオンスワンディー
6月11日
かなり明るくなってから目を覚ます。寝ぼけているのか朝靄でなのか回りはぼーっとしている。助手席で小さくなって寝ていたので体のあちこちが痛む。どうやらここは、G-LANDに向かうJAVE島の最後の港らしい。港といってもただのビーチなのだけれども。1時間のフェリーを含めて、8時間のドライブだった計算になるけれど、ほとんど寝ていたようだ。G-LAND は湾を隔てた向こう側にあるのだけれど、毒蛇や虎の出るジャングルをかき分けて行く以外、陸伝いで行く方法はない。

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